京街道 宿場町枚方
京街道・枚方宿について
『枚方は、京都と大阪のほぼ中央にあり、淀川に面して古代から河川・陸上交通の要所でした。その京と大坂を結ぶ京街道は、豊臣秀吉による文禄堤の築造に始まるとされています。徳川家康は、慶長6年(1601)から五街道の整備を始め、京街道も東海道の延長と見なして伏見・淀・枚方・守口の4宿を設けました。枚方宿がいつ成立したかは明らかではありませんが、守口宿が「大坂の陣」の翌年の元和2年(1616)であることから、枚方宿もこの頃までに成立したものと考えられます。
枚方宿は、岡新町・岡・三矢・泥町の4ヵ村からなっていました。
宿場町としての枚方のようすは、例えば三矢村の明細帳(安永4年-1775)に、「旅籠や商売人、百姓などが入り交じる」と書かれていることから、農業を含む多彩な業種が混在していたことがわかります。』
引用:枚方市教育委員会「旧枚方宿の町家と町並」1989年・P6
『淀川改修工事の図面から、今では堤防の下に消えてしまった、枚方宿の荷揚げ浜である三矢浜の特徴ある形を、かなり正確に復原することができます(図10)。この浜には、陸揚げ荷物や浜出し荷物の保管、船積みの手配などをする浜問屋がありました。幕末には、大塚屋八郎兵衛(現在の奥田光正家)が浜問屋を営んでいましたが、いまでは当時の建物のようすはよくわかりません。
このように枚方宿は、京街道と並ぶ重要な交通路であった淀川と密接な関係をもっていたので、淀川に面して、表の街道沿いとは異なった町並が自ずと形成されたのです。枚方宿は、家の表と裏の両面に町並みが成立していたといえましょう。』
引用:枚方市教育委員会「旧枚方宿の町家と町並」1989年・P12-13
枚方宿
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